カンテレで12月20日に放送された「天外者五代友厚ドキュメント」番組が放送されました。
カンテレということで、関西限定だったみたいで、当日見れなかったファンのかたの悲しい声が聞こえました。
「天外者五代友厚ドキュメント」の再放送はあるのか?見逃し配信動画があるのか?を調査しました!
「天外者五代友厚ドキュメント」の再放送と見逃し配信動画はある?
「天外者五代友厚ドキュメント」の再放送は今のところ、無いようです。
残念です。
ですが、「天外者五代友厚ドキュメント」の見逃し配信動画が、カンテレドーガで、12月21日(月)の午後5時ぐらいから放送される予定です。
やはり、「天外者五代友厚ドキュメント」の再放送を希望するファンの方の声が届いたようです。
関西以外でも、カンテレドーガだと見れますね!
「天外者五代友厚ドキュメント」のネタバレ内容
岩崎弥太郎役の西川貴教さんが、ナレーションをつとめています。
冒頭から三浦春馬さんが心を込めて役に打ち込んだ話と三浦翔平が天外者の映画に参加することを決めたことなどの話がありました。
その後、五代友厚のプロジェクトの方々のお話しが始まります。
五代塾三代目理事長の川口建さんのお話で、会社の定年後に五代塾の活動を始めた。
この映画では500万円のお金を投じたそうです。
退職金だそうです。
五代友厚に並々ならぬ気持ちを持っている方ですね。
歴史を紐解くと、「忠恕」と言う言葉に行きついたそうです。
忠恕とは、誠実で真面目に生きていく。ということ。
五代友厚さんが、忠恕だったそうです。
明治14年新聞各紙が報じた内容で、五代友厚が世間からバッシングを受けてしまいます。
北海道開拓史官有物払い下げ事件です。
五代友厚がそのことを言い訳せずに、飲み込んだということだそうです。
この汚名を晴らすために、大阪市立大学の方々が調べています。
三浦春馬さんと田中監督の話が続きます。
五代友厚さんとの論語を学んだという共通点があると三浦春馬さんが言っていました。
論語を勉強していたのですね。
三浦春馬さんが言っていたこと。
「忠信孝悌」
- 忠・・良心的であること
- 信・・信用されること
- 孝悌・・両親や友人を本当に大切にして過ごす事。
映画をつくるということと、五代友厚を伝えるということを分けなければならないとも。
五代友厚が幼いころに、球体の地図がなかったころに、自分で作ったということも映画で描かれいます。
三浦春馬さんの笑顔や監督や西川貴教さんと話している場面なども見れました。
クランクインの前日に、三浦翔平さんと三浦春馬さんとご飯&飲みに行った話なども。
脚本の変更や資金繰りなど「天外者」が出来上がるまで、相当な苦労があったようです。
沢山の方の支えがあって、「天外者」という映画ができたことがこのドキュメンタリー番組を見ると少しわかったような気がします。
今だけ、カネだけ、自分だけ、の今の時代と真逆の人を「天外者」で描きたいと言っていた監督の話にジーンときました。
この番組をみることで、五代友厚を知ることができ、天外者を深く見ることができると感じます。
五代友厚とは?
地位か、名誉か金か、いや大切なのは目的だ 五代友厚
五代友厚は、江戸時代末期~明治時代中期にかけて生きてきた日本の武士です。
鹿児島県鹿児島市長田町生まれで1836年2月12日に生まれました。
五代友厚は、質実剛健育てられ塾に通うなど文武両道の才能を持っていたそうです。
その後、青年になった五代は安政元年1854年にペリーが日本に来航し天下は騒然となったそうです。
1856年長崎海軍伝習所へ派遣されオランダの海軍士官から航海術などを学びます。
1863年7月、薩英戦争でイギリス軍の捕虜となるが清水卯三郎のはからいによって横浜にてイギリス船から小舟にて脱出、江戸に入るが日本の母国では捕虜となったことが悪評となり、しばらく潜伏生活を余儀なくしていたそうです。
その後、長崎で出会った野村盛秀の取成しによって薩摩に帰国を許されたそうです。
1865年藩命により使節団として英国へ出発し欧州各地を巡歴したそうです。
この時の経験が、後の五代の経営手腕に大きな影響を与える事になります。
1866年に帰国し薩摩藩の商事を一手に握る会計係に就任したそうです。
その後実業家として手腕を発揮し始めた五代は倒幕で活躍したり大阪に造幣局を誘致したり様々な事業に関わることになったそうです。
糖尿病によって49歳という比較的早い年齢で別荘地にて亡くなられたそうです。