雲田康夫(豆腐)wiki風!娘と妻や経歴と学歴は?しらたきも普及させた!

雲田康夫(豆腐)wiki風!娘と妻や経歴と学歴は?しらたきも普及させた!
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今やアメリカやヨーロッパで豆腐がいつでも買えるという事は当たり前ですが。

アメリカでは豆腐が生活に定着するまで、雲田康夫さんという1人の日本人男性の情熱と不屈の精神、長い孤独な道のりがありました。

雲田康夫さんは、アメリカで豆腐やしらたきを普及させ、日本食ブームのパイオニアとして知られています。

知る人ぞ知る伝説のビジネスマンです。

雲田康夫さんはどのような方なのでしょうか?

経歴や学歴が気になります。

ご結婚はされていて、妻や娘がいるとの情報があります。

雲田康夫さんの経歴、学歴、妻や娘について調べてまとめてみました。

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雲田康夫さんの娘や妻は?

名前:雲田康夫
出身地:北海道(樺太)
生年月日:1941年5月23日(2020年1月永眠 享年78才)

雲田康夫さんは27才の時に妻の文子さんと結婚しました。

長女の麻里さん、次女の麻実さんと2人の子宝に恵まれました。

森永乳業に勤務していた雲田康夫さんは、44才の時に豆腐販売の責任者として渡米しました。

アメリカ駐在と聞くとエリート街道ましっぐらでかっこいいイメージがありますが、雲田康夫さんはこの時英語が話せませんでした。

しかもアメリカでのミッションは限られた年数と経費で、豆腐を年間2000万丁販売するという過酷なものでした。

家族を伴って赴任するなんて予算も余裕もありませんでした。

雲田康夫さんは家族を日本に残し単身赴任で渡米しました。

長いアメリカでの駐在生活の中で途中で家族を呼び寄せることができましたが、慣れないアメリカでの生活は家族にとっても過酷なものでした。

想像を超える苦労を家族とともに乗り越え、アメリカで豆腐を普及させた雲田康夫さんですが、晩年は奥様の文子さんと一緒にアメリカ・ロサンゼルスの豪邸で暮らしました。

長女の麻里さん、次女の麻実さん、お孫さん達も近所に住んでいました。

人生の終わりの時期を孫の成長を見守る穏やかな日々を送っていたのでしょうと考えていたのですが、なんと70代でしらたきの会社をアメリカで設立し工場も作りました。

亡くなる直前まで挑戦者としてバリバリの現役だったのですね!

残念ながら2020年1月にすい臓がんのために永眠されましたが、ご家族は皆さん雲田康夫さんを尊敬してやまなかったのではないかと思います。

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雲田康夫さんの経歴や学歴は?

雲田康夫さんの学歴

  • 高校:足寄高校卒業
  • 大学:青山学院大学法学部卒業
  • 留学:International People’s College(デンマーク)

雲田康夫さんの経歴

雲田康夫さんは1966年に青山学院大学法学部を卒業し森永乳業に入社しました。

営業として活躍しますが、1970年代初頭のスーパーマーケット台頭により、同社の牛乳販売は不振になりました。

そこで、森永乳業は豆腐の開発に力を入れ、ロングライフ充填豆腐の開発に成功します。

常温可能牛乳パックの技術を豆腐に応用した結果、防腐剤無添加の豆腐を常温で1〜2年間保存することができるようになりました。

素晴らしい技術ですが、当時の日本の法律の関係で日本で販売できませんでした。

技術開発や工場建設に15億もかけたのですが販路がない状態になりました。

窮地に陥った森永乳業は社員に企画案を募ります。

その時に雲田康夫さんが、「アメリカに輸出するしかない」と書いた企画書が、その後の雲田康夫さんの運命を大きく変えました。

この企画は採用さされ1985年に雲田康夫さん単身渡米し現地法人を設立しました。

当時、豆腐はアメリカでは不人気NO.1の食べ物でした。

原材料の大豆も家畜の飼料というイメージが強かったですし、豆腐独特の匂いも敬遠されていました。

オーダーがあっても犬のご飯としての注文だったりと挫けそうになる出来事が続きます。

1992年のロサンゼルス暴動では、多くの商店が暴徒による略奪の被害にあいましたが、店内のほぼ全ての商品が強奪される中
豆腐だけが持ち去られませんでした。

それぐらいアメリカ人にとって圏外の食品だったです。

日本でも雲田康夫さんを送り出した部署が解体され、予算の確保も困難になりました。

孤軍奮闘の雲田康夫さんは逆風が吹きすさぶ中出来ることをなんでもやりました。

ついには森永乳業本社からアメリカ市場から撤退するように言われますが、そんな折に最大の好転につながる出来事が起こります。

スーパーで市場調査中に潰れた豆腐を買っている女性を目撃したのです。

使い方を聞いてみたところ果物とシェイクにするということでした。

このレシピにピンときた雲田康夫さんはさっそく果物入り豆腐シェイクを開発し、健康朝食「豆腐シェイク」として一定の人気を得るようになります。

豆腐とシェイクの融合、まさに日本とアメリカの食文化の融合ですね。

今現在、いちごやブルーベリー味の豆腐が海外で販売されているのは、こういった経緯があるからなんですね。

更に幸運が続き1993年に大きな転機を迎えます。

ヒラリー・クリントンとの出会い

当時大統領夫人だったヒラリー・クリントンがインタビューで、豆腐について好意的な発言をしたのです。

たまたまこのインタビューを耳にした雲田康夫さんは、ただちにホワイトハウスに豆腐1ケースと自作レシピを送ります。

すごい行動力ですよね。

そしてヒラリー・クリントンからもお礼状が届きます。

この事がきっかけにニューヨークタイムズやワシントンポストにも豆腐が取り上げられ、全米から注文が殺到しました。

健康志向の時代にやっと豆腐がマッチした瞬間ですね。

それでも森永乳業本社からの撤退命令は続き、雲田康夫さんは自分で資金調達をする事を条件に事業を継続させます。

1日10万丁生産できる豆腐工場をオレゴン州に建設し、アメリカの豆腐市場の形成に尽力しました。

雲田康夫さんの情熱を「バカじゃないの」という人もいたそうですが、国内外の多くの人から尊敬を込めて「Mr. Tofu」と呼ばれるようになりました。

雲田康夫さんの実績は高く評価され、旭日双光章やカリフォルニア下院議員表彰など多くの賞を受賞しました。

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雲田康夫さんのまとめ

  •  雲田康夫さんの奥さんは雲田文子さんです。
  •  子どもは長女の麻里さん、次女の麻実さんです。
  •  1985年に単身渡米し逆境の中アメリカの豆腐市場の形成に貢献します。

どんな辛い境遇の中であきらめず挑戦し続けた雲田康夫さん。

その人生の道のりは感動的で心に響きます。

これからの若い世代の方々にとっても指標となる生き方ですね。

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